日本語没収―短期留学を通して学んだこと9(連載28回目)

留学先の西オーストラリア州ジェラルトンという町には
日本人は一人しかいませんでした。
観光都市でもなかったので旅行者もいませんでした。
私たち二人の学生は、町で珍しい旅行者であり、
日本人は珍しい人種だったわけです。

どこに行っても注目されました。
黄色人種さえほとんどいませんでした。
ほぼ白人と黒人で構成された町でした。
日本の認知度も低く、日本のことは
ほとんど何も知らない人ばかりでした。

そんな場所で、最初のうちは私たち留学生二人の間では
当然日本語を使って話していました。

現地の人たちと話すときは辞書を片手に話していました。
私たちが辞書を引く間も、相手は会話を止めて待っているわけです。
私たちは間を持たすためか、取り繕うためか、
辞書を引いている間も日本語で話をしていました。

これが、現地の人たちにはずいぶん不快だったようです。
日本人同士で自分たちのわからない言葉を話すと、
悪口を話しているように見えると言われました。
日本語を使うことや辞書を引くことが、不安感を誘ったようでした。



留学して数日で辞書は没収され、日本人同士でも日本語は禁じられました。
一緒に留学しているYさんと日本語で会話できなくなってしまったわけです。
コミュニケーションツールとして日本人であることを奪われたような感じでした。

しかし、これは言語を学ぶ上でとても素晴らしい効果を発揮しました。
帰国する頃にはYさんと英語で話すことにもすっかり慣れ、
頭の中でものを考えるにも英語を使うようになっていました。

悪い影響としては、Yさんが日本語を奪われたことでホームシックに陥ったり、
英語をうまく使えず自分の要求が相手に最後まで通じることができなかったりしました。

ホームシックはけっこうな問題でしたが、経験としては必要なこととも思えます。
ホームシックになるということは、日本という国に住んで家族があり
日本語を使いこなしているという結果です。

ホームシックになることで自分がどれだけ何に頼って普段生きているのかが見えるでしょう。
外国に行き日本がかえってよく理解できます。自分がよく見えてきます。
感謝する心やいろんなものを大事にする心が育ちます。
ホームシックになった彼女を周りが心配しいろいろと声がけしたり、
どこかに連れ出したりすることで周りの優しさを感じれ、
外国の人たちやものも大事にできる機会なのです。

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